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岡山地方裁判所 平成10年(行ウ)13号 判決

原告

右訴訟代理人弁護士

山崎博幸

被告

岡山西税務署長 小野好彦

右指定代理人

池下朗

村田剛

藤本憲三

金坂武志

田賀満雄

近藤英幸

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

本件は、被告が原告に対し、昭和六〇年から平成元年までの各年度について別表一ないし五の課税処分等経過表区分欄各「更正処分」中の各「総所得金額」欄記載の金額が原告の所得金額であるとして、平成五年三月一〇日付けで各「納付すべき税額」欄記載のとおり右の各年度の所得税の更正処分をするとともに、同別表区分欄各「更正処分」中の各「重加算税の額」・「過少申告加算税の額」欄記載のとおり重加算税・過少申告加算税賦課決定処分をしたところ、原告が別表課税処分目録各「争いのない所得金額」欄記載の金額を超える所得金額については原告の所得金額から控除すべき必要経費であるのに、これを控除しない違法があるとして、同目録各「取消しを求める所得金額」欄記載の金額に対応する所得税額及び過少申告加算税(昭和六二年分三二万四五〇〇円)の範囲で更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分の取消しを求める請求である。

第二事案の概要

一  争いのない事実等(甲第五ないし第八号証及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実も含む。)

1  当事者等

(一)原告は、昭和五七年四月から現在まで岡山県岡山市庭瀬において「Aクリニック」との名称で歯科医院を開業している歯科医師である。

なお、原告は、乙と昭和六一年四月二七日に挙式結婚したが(同年五月一九日婚姻届出)、後に別居して平成六年一月一七日に離婚した。

(二)丙は、原告の弟(原告は六人兄弟の五番目、丙は六番目である。)で、Aクリニックにおいて昭和五七年四月の開院当初から平成七年一月ころまで歯科技巧士として稼働していた者である。

なお、丙は、平成元年二月二八日に丁と婚姻している。

2  課税処分の存在及び不服申立ての経由

(一)被告は、原告が昭和六〇年から平成元年までの各年分の所得税について別表一ないし五の課税処分等経過表区分欄各「確定申告」中の各「総所得金額」欄記載の各金額で青色申告による確定申告をしたのに対し、被告は、平成五年三月一〇日付けで、同別表区分欄各「更正処分」中の各「納付すべき税額」欄記載のとおり昭和六〇年から平成元年までの各年度の所得税の更正処分(以下「本件各更正処分」という。)をするとともに(ただし、被告は、平成二年分及び平成三年分についても、所得税の更正処分をしたが、取消訴訟の対象とされていない。)、同別表区分欄各「更正処分」中の各「重加算税の額」・「過少申告加算税の額」欄記載のとおり重加算税・過少申告加算税賦課決定(以下「本件過少申告加算税賦課決定」という。)をした。

また、被告は、原告に対し、平成五年三月一〇日付けで昭和六〇年分以降の所得税の青色申告承認の取消処分をした。

(二)原告は、平成五年五月七日付けで被告に対し異議申立てをしたが、被告は、同年八月四日付けで異議申立てを棄却する旨の決定をした。これに対し、原告は、右の決定をいずれも不服として、国税不服審判所長に対し、同年九月三日付けで審査請求を行ったところ、国税不服審判所長は、平成一〇年三月三一日付けで平成六二年分の更正処分及び過少申告加算税賦課決定につきその一部を取消し、納付税額を減額する裁決をし、その余の各年分につき審査請求を棄却する旨の裁決をした。その内容は、別表一ないし別表五の課税処分等経過表記載のとおりである。

また、原告は、被告に対し、昭和六〇年分以降の所得税の青色申告承認の取消処分についても異議申立てをしたが、被告は、平成五年八月四日付けで異議申立てを却下する旨の決定をし、さらに、原告は、国税不服審判所長に対し、同年九月三日付けで審査請求をしたが、国税不服審判所長は、平成一〇年三月三一日付けで却下する旨の裁決をした。

3  課税所得の内容

(一)原告は、昭和六〇年分から平成元年分までの各係争年分の所得税の確定申告に当たり、別紙課税処分目録「申告総所得」欄記載の金額から丙に支払った左記の給与及び外注費を必要経費として控除した。

(1)昭和六〇年一月分から同年一二月分までの給与六二〇万〇〇〇〇円

(2)昭和六一年一月分から同年一二月分までの給与六二〇万〇〇〇〇円

(3)昭和六二年分給与 三五〇万〇〇〇〇円

昭和六二年分外注費 四七五万八〇〇〇円

(4)昭和六三年一月分から同年一二月分までの給与七二〇万〇〇〇〇円

(5)平成元年一月分及び同年二月分給与 九〇万〇〇〇〇円

なお、右の給与及び外注費は、昭和六〇年分から昭和六三年分までは各一年間分の金額であり、平成元年分は一月一日から二月末日までの金額である。

(二)これに対し、被告は、原告が丙に支払った前記給与及び外注費については、各係争年分において丙が原告と生計を一にする親族に該当するため、所得税法五六条の規定により原告の課税所得の計算上必要経費とすることはできないとして、本件更正処分及び本件過少申告加算税賦課決定をした。

二  争点

丙が昭和六〇年一月一日から平成元年二月末日までの間の各係争年分の期間中に原告と生計を一にする親族として原告の事業に従事し、その対価として給与及び外注費の支払いを受けたものか否か。

1  被告の主張

(一)所得税法五六条は、納税者である居住者と生計を一にする配偶者その他の親族がその納税者の営む事業に従事したことにより当該事業から対価の支払いを受けている場合に、その対価に相当する金額をその納税者の当該事業に係る所得の金額の計算上必要経費とは認めない旨定めるところ(その親族のその対価に係る各種所得の金額の計算上必要経費に算入されるべき金額はその納税者の事業所得の金額の計算上必要経費に算入する旨定める。),その趣旨は、担税力の測定単位を個人単位で把握する個人単位主義を原則としながらも、個人単位主義で徹底するならば、納税者と生計を一にする配偶者その他の親族が納税者の事業に従事して対価を得ている場合に個人所得を親族間で恣意的に分散することにより税負担の軽減を図ることが可能であることから、例外的に担税力の測定単位を経済生活単位毎にとらえて課税する経済生活単位主義を採用したものであり、この趣旨からすると、右の「生計を一にする」とは、納税者とその納税者の営む当該事業から対価の支払いを受けている配偶者その他の親族が一つの経済単位を形成していること、換言すると、同一の生活共同体に属し、日常の糧を共通としていることをいうと解するのが相当である。

具体的には、納税者とその納税者の営む当該事業から対価の支払いを受けている配偶者その他の親族とが同一の家屋内に起居している場合には、納税者と当該親族は、通常日常生活の糧を共通としており、一つの経済生活単位を形成すると推認されるため、互いに独立した生活を営んでいると認められる特段の事情がある場合を除き、原則として生計を一にすると認めるべきである。また、たとえ納税者と当該親族が同一の家屋内に起居している場合でなくとも、その収入及び生活状況等からみて実質的に一つの経済生活単位を形成していると認める事実関係が存在すれば、生計を一にすると認めるべきである。

(二)原告と同居していた親族は、弟の丙のほか、母の戊、妻である乙(ただし、昭和六一年四月二七日結婚したが、昭和六二年二月一四日に別居して平成六年一月一七日に離婚した。)であるところ、右の関係親族の昭和六〇年一月一日から平成元年二月二八日までの生活状況は、以下のとおりである。

(1)昭和五九年一二月以前の状況

原告(一九五三年八月三日出生)と丙(一九五六年一〇月四日出生)は、戊(一九二三年一二月二一日出生)とともに、岡山市伊福町(住居表示岡山市伊福町)にあった戊名義の木造平家建居宅八四・二九平方メートル(以下「建物(1)」という。)(後記建物(4)の建築に伴い、取り壊された。)で同居していたが(建物の敷地(以下「土地(1)」という。)も戊名義である。)、昭和五五年一二月に隣接地の岡山市伊福町(住居表示岡山市伊福町)に原告及び丙の共有名義(原告持分五分の四、丙持分五分の一)で木造瓦葺二階建共同住宅一階一〇六・二九平方メートル二階二六・一八平方メートル(以下「建物(2)」という。)(平成五年に取り壊され、新たに原告及び戊らが居住する三階建住居が建築されている。)及びその敷地(以下「土地(2)」という。)を取得したことから、以後戊とともに、右の建物(2)を中心として生活するようになった。

このことは、原告が、昭和五七、五八年当時、丙につき原告と生計を一にする者であるとして被告に自ら届け出をしていることから認められる。すなわら、原告は、昭和五七年七月八日付けで丙を所得税の青色専従者として同年五月以降青色専従者給与を支給する旨記載した青色専従者給与に関する届出書を提出し、昭和五八年三月一五日付けでその給与額を変更する旨記載した青色専従者給与に関する変更届出書を提出している。

(2)昭和六〇年一月から昭和六一年六、七月ころまでの状況

原告と丙は、昭和六〇年一月以降も、戊とともに建物(2)に同居して生活しており、その状況に変化はない。原告は、昭和六一年四月二七日乙と結婚したが、もと建物(1)のあった土地(1)に原告が建築した鉄骨造陸屋根四階建店舗・事務所・共同住宅一階一二二・七一平方メートル二階一二〇・四九平方メートル三階一二〇・四九平方メートル四階九六・八三平方メートル(以下「建物(3)」という。)が完成する同年六、七月ころまでは建物(2)で生活した。

なお、乙は、昭和六一年五月に建物(2)のある岡山市伊福町に転入したが、昭和六三年四月二〇日に大阪府茨木市内に転出した旨の届け出がなされている(原告と乙は、昭和六二年二月一四日同居を解消した。)。

(3)昭和六一年六、七月ころから平成元年二月二八日までの状況

原告と乙は、建物(3)の完成後、同年六、七月ころ以降夜間だけその四〇三号室で過ごすようになった。しかし、同室は、単身者用のワンルームタイプであるため、原告と乙は、戊及び丙とともに従来どおり建物(2)で朝食及び夕食を摂っており、その生活の大半は建物(2)でなされた。そして、原告、戊、乙及び丙のほか、頻繁に出入りしていた己を含む家族の生活費は、原告が歯科医院経営によって得た収入でもって賄われた。その家計は戊が掌握していた。なお、原告は、昭和六二年二月一四日に乙と別居した。

この間、丙は、昭和六一年七月七日に岡山市下伊福西町(住居表示岡山市下伊福西町)にある木造瓦葺二階建居宅一階一一七・六五平方メートル二階四三・七七平方メートル(以下「建物(4)」という。)及びその敷地(以下「土地(4)」という。)を競売により取得した。これに伴い、丙が右の建物(4)を使用するようになったが、その電気及び水道の使用量が極めて少ないことから明らかなように、丙は、建物(4)を日常生活の場所としては使用しておらず、乙が原告らと生活をしていた時期を通じ、実質的にみて原告と同居しているといえる生活状況にあったものである。このことは、建物(4)の電気の使用契約が平成元年八月二五日までは丙名義でなく、原告名義でされている、丙は、丁と婚姻した平成元年二月二八日まで建物(1)の所在地である岡山市伊福町を居住地として外国人登録を行い、自己が使用するための駐車場使用料金の支払いに当たっても、振込金受取書の住所欄を岡山市伊福町、同市伊福町と記載している、原告は、生計を異にしていれば丙が負担するはずの家事上の経費を原告の事業費として計上したり、本来原告名義で徴収すべき建物(4)の家賃を丙名義の通帳に振り込む方法で集金していることからも認められる。

丙は、その後平成元年二月二八日丁と結婚し、右の時点以降は建物(4)で生活するようになった。

(三)以上のとおり、原告は、昭和六一年六、七月ころまで丙と建物(2)で起居を共にしていたものである。また、建物(3)が完成し、原告及び乙夫婦が建物(3)の一室で就寝するようになった後も、丙が丁と結婚して建物(4)に転居する平成元年二月までの間、原告は、日常生活の大部分を建物(2)で行い、丙も建物(2)で起居しており、実質的に同一家屋で起居していたものであり、右の状況下において、原告と丙が明らかに互いに独立した生活を営んでいたと認められる特段の事情は存在しない。仮に原告が夜間だけ建物(3)の一室で就寝するようになったことから同一の家屋に起居しているとはいえないとしても、その前後において原告と丙の生活実態は何ら変化していないため、依然一つの経済生活単位を維持していたものである。したがって、丙につき平成元年二月二八日に至るまで原告と生計を一にする親族として行った本件課税処分に違法性はない。

2  原告の反論

(一)被告は、所得税法五六条の「居住者と生計を一にする配偶者その他の親族」の要件の解釈として、起居を共にする事実があれば、経済活動を個別に行っている特段の事情が認められない限り、右の要件を充足する、仮に起居を共にする事実がないとしても、経済活動が個別的でないと認められる特段の事情がある場合には、右の要件を充足する旨主張するけれども、被告の述べる基準は、具体性に欠け、漠然とした内容であって、基準として失当である。右の要件は、あくまで問題となっている親族が単独の世帯として生計を営んでいるか否かにつき社会通念上これを認めるに足りる事実があるか否かの見地から認定されるべきものである。

(二)原告及び丙の各係争年分の期間中における生活状況は、以下のとおりであり、原告と丙が同居していた事実はない。

(1)昭和五五年一二月ころから昭和六一年七月ころの状況

昭和五五年一二月ころ以前は、原告及び丙は、戊とともに、建物(1)に同居していた(敷地の土地(1)も戊名義である。)。しかし、原告及び丙が同年一二月に建物(2)及び土地(2)を共同して購入したことから、丙と戊が建物(2)で居住するようになったが、これに対し、原告は、引き続き建物(1)にとどまった。原告と丙は、B歯科医院に勤務していたときから独立して生計を維持してきたものであり、このことは、原告が昭和五七年四月にAクリニックを開設し、丙が同クリニックに勤務するようになってからも何ら変わりはない。その後、原告は、昭和六一年四月二七日に乙と結婚したが、これに伴い、建物(1)を取り壊し、建物(3)を新築し、同年五月以降その四〇三号室で同居生活を開始した。もっとも、原告と乙は、同年一一月には不和となり、昭和六二年二月には完全な別居状態となった。

なお、丙の外国人登録における居住地は、建物(1)の所在地である岡山市伊福町のままであるが、隣接の建物(2)に転居しただけであったため、変更しなかったに過ぎない。

(2)昭和六一年七月ころから平成元年二月二八日までの状況

丙は、昭和六一年七月に競売で取得した建物(4)に同年一一月に転居した。以来、丙は、建物(4)からAクリニックに通勤するようになった。そして、丙は、平成元年二月二八日に丁と婚姻し、建物(4)で同居生活を開始した(なお、丙は、平成七年一月に大阪府内に転居した。)原告と丙は、B歯科医院に勤務していたことろから、戊に対し、食費及び雑費として、原告が毎月五万〇〇〇〇円、丙が二、三万円渡しているが、自己の生活実費を負担し、母の家計の補填をしたものにすぎず、それ以上に原告と丙が互いに扶助し合い、生活の糧を共通にしていたことはない。丙は、郵便貯金口座を自分で開設する等して自己の金員を管理していた。

なお、丙が建物(4)に転居した昭和六一年一一月以降結婚する平成元年二月までの間建物(4)における電気及び水道の使用量が少なかったのは、風呂を使用せず、外食中心であり、建物(4)では就寝するだけの生活であったためであって、丙が建物(4)に居住していなかったからではない。

(三)以上の事実から明らかなように、原告と丙は、昭和五五年一二月に建物(2)を取得し、丙が建物(1)から建物(2)に転居して以降同一建物で同居した事実がなく、もちろん、各係争年分の期間中である昭和六〇年一月一日から平成元年二月末日までの間に原告と丙において社会通念上生計を一にしていると評価するに足る事実も存在しない。すなわち、原告と丙は、原告がAクリニックを開設し、丙が同クリニックに勤務するようになる以前から互いに別居していること、同クリニック自体、歯科医師一人の小規模な個人事業であるため、税務申告に対する不慣れもあって丙を青色専従者として届け出たものであること、丙は、歯科技工士という国家資格に基づき働いていたものであり、原告から支給を受けた給与等は丙が単独で管理し、自己の計算と責任で日常の生活費を支出していたものである。

したがって、本件課税処分は、原告と丙につき所得税法五六条に定める「生計を一にする親族」であるという事実はないのに、右の事実があるとして、給与及び外注費につき必要経費として算入することを否認したものであるから、違法である。

第三争点に対する判断

一  所得税法は、納税義務者を居住者(国内に住所を有し、又は現在まで引き続いて一年以上居所を有する個人)、非居住者(居住者以外の個人)、内国法人(国内に本店又は主たる事務所を有する法人)、外国法人(内国法人以外の法人)と定め(法五条)、納税義務者ごとに課税所得の範囲を画しており(法七条)、担税力の測定単位を個人単位ごとにとらえて課税する個人単位主義を原則としていることが明らかである。しかし、個人単位主義のみ採用すると、個人所得を恣意的に分散することによって税負担の軽減を図ることが可能になる場合には、これを防止し、税負担の公平を実現する見地から、例外的に担税力の測定単位を経済生活単位ごとにとらえて課税する経済生活単位主義を採用しているところ、第五六条は、個人単位主義からは当然に居住者の事業の必要経費として認められるべき当該事業のために雇っている者に対する賃金等の対価につき、当該被傭者が居住者と配偶者その他の親族関係にある者(以下「親族」という。)でかつ「生計を一にする」状態にある場合にあってはこれを必要経費として認めない旨規定しており、例外である経済生活単位主義を採用したものである。けだし、生計を一にする親族の場合、個人単位主義の下では、当該事業に従事している者の賃金の名目で必要経費を増加させることにより当該事業の収益を圧縮し、税負担の軽減を図る一方で、被傭者に支給した賃金を自己の所得として内部留保することが可能となるからである。それゆえ、所得税法五六条における当該事業者と被傭者とが「生計を一にする」親族といえるためには、所得の分散によって税負担の軽減を図ることを防止する趣旨からして、当該事業者と被傭者とが居住費、食費、光熱費その他日常の生活に必要な費用の全部又はその主要な一部を共同して支弁し合う親族関係にあることが要求されているものと解するのが相当である。

二  そこで、原告と丙の係争年分の期間中における生活状況につき以下時の経過に従い検討する。

1  まず、原告と丙は、昭和五五年一二月に共同して隣地に建物(2)及び土地(2)を購入するまでは戊とともに建物(1)で生活していたものであり、このことは原告も自認するところであるから、同じB歯科医院に、原告は歯科医師として、丙は歯科技工士として勤務しており、互いに給与という収入源を持っていたとしても、戊が無職で格別収入がなく(なお、己は、戊が当時建物(1)で下宿屋を営んでいたと述べるが、これを裏付ける資料がなく、採用し難い。)、その生活費を原告と丙において引き続き共同して負担するためには原告と丙において戊を含む共同生活を維持する必然性があったことからすると、原告において特段の反証をしない限り、戊を含む同居家族の一員として、日常生活を共同にすることを通じ、これに必要な費用の全部又はその主要な一部を互いに負担し合う親族関係にあったものと推認するのが相当である。

そして、右の関係は、原告と丙が建物(2)及び土地(2)を購入した以降においても、右の住居が原告と丙において共同して購入したものであり、かつ、建物(2)が建物(1)の隣家であることからすると、変更はなかったものと推認するのが相当である。

この点に関し、原告は、丙と戊が建物(2)に移ったが、原告は引き続き建物(1)に残り、以後原告と丙は同居したことはない、原告と丙が互いに収入源を持っており、その収入は各自で管理し、自己の計算と責任で、戊に対し、自己の食費及び雑費分を渡していたものであり、現に、建物(2)は、丙が昭和六二年三月時点で自己の名義でその水道料金を納付しているのに対し、建物(3)は、原告名義で水道料金が納付されているように、独立して生計を営んでいたものであると主張するけれども、戊を中心とする家族の構成に変更があったわけではないことに加え、原告と丙において建物(2)及び土地(2)を共同して購入しているだけでなく、その後も昭和五七年四月にAクリニックで共に働いており、依然として親密な兄弟関係にあったとみられることからすると、以後の原告と丙の就寝場所が建物(1)又は建物(2)のいずれであったにせよ、これを機に原告と丙が戊を含む家族の生活に必要な費用の全部又は主要な一部を共同して支弁し合う関係を解消したと認めることはできないというべきである。

なお、甲第三号証、第四号証、第八号証、第一三号証、第一四号証、乙第一二号証の一及び二、第一四号証によると、原告は、建物(1)のあった、その取り壊し後は建物(3)のある、岡山市伊福町を外国人登録における居住地としており、丙も、同様に原告と同じ建物(1)のある岡山市伊福町を居住地としていたが、丙においては平成元年二月二八日になって初めて建物(4)のある同市下伊福西町に変更していることが明らかであるところ、原告は、隣地に移転したため、変更しなかったものであるというが、その生活実態に変更がないため、居住地の変更をしなかったものともいえることに加え(同様に、甲第九号証、第一九ないし第二三号証によると、丙は、昭和六二年四月株式会社Cとの間で「Dパーキング〈1〉」駐車場の賃貸借契約を締結するに当たり建物(2)のある岡山市伊福町を住所として記載する一方、その駐車場賃料の支払いに当たっては右住所だけでなく、同市伊福町も住所として記載していることが認められる。)、乙第一号証、第二号証、第一七号証、第二五号証の一及び二によると、原告は、Aクリニックを開設した後、昭和五七年七月及び昭和五八年三月に被告に対し丙を「生計を一にする配偶者その他の親族」であることを要件とする青色申告専従者(所得税法第五七条)として取り扱い、「青色申告専従者給与に関する届出書」及び「青色申告専従者給与に関する届出変更届出書」を提出していること、また、昭和五九年分の所得税の確定申告に当たっても丙を扶養親族としていることが認められ、これらの点からも、原告と丙とが各自戊に対し自己の食費及び雑費として毎月原告は五万〇〇〇〇円、丙は二、三万円を拠出していたに過ぎないとする原告の供述はたやすく措信し難く、反証として十分であるということはできない。

2  次に、原告は、昭和六一年四月二七日乙と結婚し(婚姻の届出は同年五月一九日である。)、そのころまでに建物(1)を取り壊し、その跡地に建物(3)を建築しており、さらに同年七月には丙が建物(4)及び土地(4)を自他名義で取得しており、右の結婚及び住居の取得を機会に原告と丙がそれぞれ独立した世帯を持つに至ったということは十分にありうるというべきであるが、しかしながら、甲第七号証、乙第四号証の一及び二、第二二号証によると、乙は、原告と結婚後、建物(2)でしばらくは戊及び丙と同居しており、その後建物(3)が完成したことから、夫婦でその一室(ワンルームマンションタイプ)で寝起きするようになったものの、食事を始め、その生活の大半は建物(2)でしており、戊が家計を掌握していたため、戊から小遣い銭程度の金銭を受け取っていたと述べ(なお、建物(2)には、己が大阪からしばしば帰省しては滞在していたと述べる。)、乙が原告との間に離婚を巡って係争中であったとしても、右の供述自体、建物(3)の完成時期の点を除き(甲第二八、二九号証によって認められる水道及びガスの開栓の時期からすると、右の時期に建物(3)が完成していたか否かはともかく、乙の述べるよりも早い時期であったとみる余地はある。)、格別不自然なものはなく、その後約一〇か月程度で乙が夫婦仲不和のため大阪府茨木市内の実家に戻り、別居するに至っていることからしても、乙の供述どおり、戊が原告と乙の結婚後も引き続き原告及び乙夫婦を含む一家の家計を掌握していた事実を肯定することができるといってよく、戊が原告が建築した建物(3)のうち共同住宅部分の賃料を受領していることも戊による家計の掌握を裏付けるものであるといえるところ(乙第二一号証)、そうであれば、原告と丙は、特段の反証のない限り、原告の結婚だけでなく、丙の住居の取得という事情の変化にかかわらず、引き続き原告と丙は戊さらには己を含む家族の生活に必要な費用の全部又は主要な一部を共同して支弁し合う関係を継続していたものと推認するのが相当である。

この点に関し、原告は、丙が昭和六一年一一月に建物(4)に転居したと主張し、右の主張に沿うものとして、原告の供述(甲第一〇号証、乙第一八号証、原告本人の尋問結果)のほか、民生委員及び知人の証明・陳述(甲第一一号証、第一二号証、第二七号証、第五八号証)があるけれども、乙第五号証、第一三号証の一ないし一八、第一五号証、第一六号証、第二一号証、証人庚の証言によると,建物(4)における水道使用量は、昭和六三年一二月から昭和六三年一二月までの期間中最大で一か月平均四立方メートル、最小で一か月平均一立方メートル未満であり、単身であったにせよ、建物(4)が生活の本拠であるにしては休日もあることからすると少量に過ぎること(しかも、昭和六三年四月二〇日はいったん使用廃止の手続がされている。)、丁と結婚する平成元年二月以前にあってはほとんど電気の使用がなされておらず、電気使用契約も原告名義で締結されていたものが平成元年八月になって原告名義から丙名義に変更されていること、丙が建物(4)への転居後である昭和六二年四月時点で建物(4)よりも建物(1)及び建物(2)に近いとみられる自動車駐車場「Dパーキング〈1〉」を賃借し、平成元年三月まで駐車場賃料の支払いを継続していること、さらに昭和六三年四月及び同年一二月になっても、原告所有名義の建物(3)の家賃が丙名義の銀行預金口座に振込送金されたこともあることが認められ、右の認定事実からすると、丙は、建物(4)及び土地(4)を取得し、建物(2)から建物(4)にいったん転居はしたものの、建物(4)で実際に生活することはほとんどなく、丙が丁と結婚するまでは依然建物(2)を中心に生活していたものであり、原告と丙は、原告の結婚及び丙の住居取得にかかわらず、いずれも生活の本拠が建物(2)にあって、戊に家計を委ね、戊らとともに共同生活を継続していたものというべきである。

なお、甲第一号証、乙第一五号証、第二五号証の一及び二、証人庚の証言によると、原告は、昭和五九年分及び昭和六一年分の所得税の確定申告に当たり、青色専従者に惠子なる架空の人物を配偶者として配偶者控除を受け、あるいは、事業専従者としてその給与額につき経費として申告したほか(庚証言によると、同人が税務調査のため平成四年当時四回にわたりAクリニックを訪れたが、原告は、その都度、休診にした上、同人が丙や原告の妻「惠子」と称する人物に面接して事情を聞くことを回避し、面接の要請にも応じなかったことが認められる。なお、原告は、当然に保存してあるべき昭和六一年分以前の帳簿証ひょう類を保存していない。)、昭和六二年分以降の必要経費に係る領収書の金額及び年月日を多数改ざんし、経費の水増しをしていることが認められ、右の認定事実からすると、納税に関しては重大な関心を有していたと思われるのに、税理士事務所で作成した所得税の確定申告書を見ていないと述べるなど極めて不自然な供述をしていること、また、甲第一号証、乙第一九号証の一ないし七、第二〇号証の一ないし三、第二七号証の一ないし五によると、原告は、丙に対し、昭和六〇年分で六二〇万〇〇〇〇円、昭和六一年分六三〇万〇〇〇〇円、昭和六二年分三五〇万〇〇〇〇円、昭和六三年分七二〇万〇〇〇〇円、平成元年分八〇万〇〇〇〇円の給与をそれぞれ支払い、昭和六二年分には右の給与のほか、外注費四七五万八〇〇〇円を支払ったとされているけれども、甲第一三号証、第四九号証、乙第一八号証、第一九号証の一ないし七、第二一号証、庚証言によると、丙においては、昭和六二年分の所得税の確定申告をしておらず、丙作成に係る外注費に関する領収書の筆跡及び印影、さらには丙名義の郵便貯金口座及び銀行口座における入出金の状況からすると、右の金額の給与・外注費の支払いをしたとする原告の供述にも疑いが残ること(もっとも、丙は、平成元年二月二八日には婚姻して独立した生計を営むに至ったのに、それぞれ平成元年一〇月、同年一二月以降における入出金の動きがないことからすると、丙名義ではあっても、丙が自己の金員を管理するために開設した口座か否か疑わしいということもできる。)、さらには、乙第一八号証によると、原告は、被告に対し、丙と「和美」なる人物が建物(2)で居住していたなどとする虚偽の内容からなる居住状況に関する確認書を提出しただけでなく、原告本人尋問においても、丙が結婚した時期について、婚姻の届出がなされた平成元年二月ではなく、一年前の昭和六三年二月であると明確に述べながら(甲第一〇号証も同様である。)、後に右の時期につき勘違いであったと述べ(甲第四〇号証)、供述を変更していること(原告は、当初の供述のとおりであれば、昭和六三年二月以降丙及び丁夫婦が建物(4)で生活していたこととなり、建物(4)における生活実態と辻褄が合わなくなることから、当初の供述を変更した疑いがある。)などからすると、原告は、丙が勤務先のAクリニックで風呂を使用しており、建物(4)では就寝するだけであったことから、電気及び水道の使用量が少ない、丁は建物(2)で過ごすことが多かったため、建物(4)の電気及び水道の使用量は少ない、原告と丙は、B歯科医院に勤務していたころから、戊に対し、食費及び雑費として、原告が毎月五万〇〇〇〇円(一〇万〇〇〇〇円を渡していたとも述べる。)、丙が二、三万〇〇〇〇円渡しているが、自己の生活実費を負担し、母の家計の補填をしたものにすぎず、それ以上に原告と丙が互いに扶助し合い、生活の糧を共通にしていたことはないなど述べるが、右の供述は、たやすく措信することができないものである。

3  以上要するに、原告と丙は、各係争年分中の昭和六〇年一月一日から平成元年二月二八日までの間建物(2)を生活の本拠として戊を中心とする共同生活を継続していたものであり、そうであれば当然住居費、食費、光熱費その他日常の生活に必要な費用の全部又はその主要な一部を共同して支弁し合う親族関係にあったものと認められるから、所得税法五六条に定める「生計を一にする親族」関係にあったものということができるので、これを前提に原告が丙に支払った給与及び外注費につき、原告の所得の計算上、必要経費に算入することを否認したことは相当であって、本件各更正処分及び本件過少申告加算税賦課決定処分に右規定の適用を誤った違法はない。

第四結論

よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邉温 裁判官 酒井良介 裁判官 竹尾信道)

別表一 課税処分等経過表(昭和六〇年分)

〈省略〉

別表二 課税処分等経過表(昭和六一年分)

〈省略〉

別表三 課税処分等経過表(昭和六二年分)

〈省略〉

別表四 課税処分等経過表(昭和六三年分)

〈省略〉

別表五 課税処分等経過表(平成元年分)

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別表 課税処分目録

〈省略〉

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